「自分軸で生きる」 

誰だって自分を知る旅の途中 だからこそ自分を知ることの楽しさを伝えるブログ

グロースリートレ その2

昨日の続きです。

 

「おまえたちはどうしたかったんだ?」

 

こういった「問題」が起きると、多くの人はその「原因」を探す。

あの人が言ったから、あの人さえいなければ、あーしてくれなかったから、、、

でも、グロースで大事にしていることは、そこに起きていることは、そこにいる全員にとっての学びであり、誰かのせいにすることではないということ。

同じ環境の中にいて、それぞれの視点から、それぞれにとって大事な学びがあるのです。

 

「おまえたちはどうしたかったんだ?」

 

ボクからの問いかけに

TKHは、

「もっとYKに寄り添いたかった。」

困っている人に寄り添いたいというのは、TKHの生来のやさしさだ。

TKHはその気持ちがあったけれど、もう一歩を踏み出せず、YKの「ほっといてほしい」という言葉に寄り添った。

自分の「寄り添いたい」という気持ちにではなく、YKの気持ちに寄り添ったのだ。

 

ただ、TKHは自分の気持ちを心の中に置き去りにしたことには気づいていない。

これは、誰にでもあること。

誰かのために、といって、知らないうちに自分のことを後回しにしたり、時には犠牲をしてしまう。

 

「YKに寄り添って、TKHは何をしたかったんだ?それで、TKHは、何を得たんだ?それが本当にTKHの欲しい結果だったのか?」

 

TKHは無言でうつむいたままだ。

 

「それも大事だけど、自分の気持ちに寄り添うことも大事だ。このグロースでその練習をしてみろ。自分の軸をもってやり通すこと、それがTKHの今回のトレーニングの大事な練習だ。」

 

ボクの言葉を黙って受け取っていた。

 

MKは、思ったこと、言いたいことがあっても言えない、、もしくは言わない。

それが彼女の癖であることは、以前から感じていた。

決して悪いことだとは思わないけれども、何かトラブルがあるたびに、居心地が悪そうにしているMKがいる。

言わないのか、言えないのか、これは大きな違いがある。

こういう時、自分をどう感じているのかを見つめるのは大事なことだ。

 

この時も、自分からは何も発言しない。

ほかの人の意見を聞いてからMKは、「私もそう思う」式の発言になりがちだ。

「どうしたいんだ?MKは」と問いかけると、「ちゃんと自分の意見を言いたい」という。

自信を持てとか、はっきり言えとか、そんな精神論を言われてもすぐにどうにかなるものではない。

「どうしたらいいのか」じゃなくて、「どうしたいのか」を探す。

 

意見を言いたいと言いながら、言わずにいることで、不満は増え続ける。

その不満のはけ口は、身近な誰かになる。

その不満を聞く人にもよるけれど、聞いた人は不満を訴える人に同情するし、一緒になって腹も立ってくる。その場にいない人までも、その不満を聞くことで不満がいっぱいになっていくのだ。

たとえば居酒屋で見かけるサラリーマンの被害者同盟みたいなもの。

上司への不満を聞いているうちに、自分もだんだん腹が立ってくるような、、、、、

ネガティブのスパイラル現象。

自分が本当に伝えたいことは何か、それに気づくことは、自分と一緒にいてあげる最良の方法だ。

 

「MK、自分が周りの様子を見はじめたら、まずそのことに気付くこと。そして、気づいたら、自分から発信する練習をしよう。いいか?」

これがMKの課題となった。

 

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ナイトハイクの道を歩く


 

ASTは、いろんな意味で有能である。

器用だし、考え方も大人びているように感じる。

でも、そのことで、自分の考えにあわない人間とのコミュニケーションや、かかわり方に差が出てくることがある。

信頼ある人間関係を作り出していくには、「共に」の意識が重要だ。

そういえば、ASTのリーダー像は「自分の考え、行動についてくるような人」だった。

確かに力強いリーダー像を描くのも大切だ。

その「自分の考え」が、いったいどんな考えであり、どんな目的なのか。ビジョンは何か、、、これから彼が直面し、学んでいく大切なことだ。

どっちが上か下かの競争以上に、この相互依存の関係を大人ボクたちも学ばなければならない。

有能だからこそ、相手を尊重することを学ぶ。

ASTには、そう伝えた。

 

 

そしてYKは、2年前のグロースでも似たようなことがあった。

都合の悪いことが起きて、そこから逃げ出して、心をなかなか開けなくなってしまう。

それがYKの「本意ではない」ことはよくわかる。

このグロースでも繰り返しているのだから、日常でもありがちな、彼のパターンになっている可能性が高い。

おまけに、そういうレッテルを周りから貼られてしまうことで、損するのは、自分自身。

YKには、「自分に向き合うこと。どんなに嫌な人間から逃げても、自分からは逃げられないんだ、いいか、自分としっかり向き合え!」ということを繰り返し伝えた。

 

ボクからのチャレンジが、彼らの心にどう刻まれたのかはわからない。 

でも、何かしらのタネになって、彼らの人生の中で育っていくことを願っている。

 

ところで、こんなことがあったのにもかかわらず、2泊3日の間、彼らが作る料理はどれも絶品だった。

 

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この日の夕食も絶品だった

 

「割烹白だし大根チャンプルー」

「割烹白だしかきたま汁」

「割烹白だしジャガイモでかすぎチーズとハートシチュー」

 

若干、白だしに頼りすぎの感もあるけれど、他にも工夫を凝らした中学生とは思えないほどの力量を発揮してくれた。

 

この2泊3日のトレーニングでのいろいろな実習を終え、ボクたちは、7月31日の朝、帯広空港に本隊を出迎えに行った。

 

そして、今回のリーダートレーニングは、最終日のミドルネームの実習で、彼らの心の中にしっかりと「リーダー」としてのタネが植えられたことを確認できたのでした。

  

短いトレーニングではあったけれど、いい時間を過ごすことができました。

正直、思春期真っただ中の時期に、ボクもこんな体験ができたらよかったのに、といつもながら思うのでした。

こいつら、本当にかっこよかった!!

グロースブログ まずはリートレから。その1

すっかり秋めいてきました。

 

今年の夏を思い出しながら、30回目のグロースセミナーを振り返ります。

今年もいろんなことがありました。

 

心待ちにしていた皆様、遅くなりましたが、すこしずつ公開していきます。

 

 

 

 

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2年に一度のリーダートレーニング。

今年のグロースは、このリートレから始まりました。

リートレは、グロースのリピーターで、中学2年生以上が参加できる、2泊3日のトレーニング。

グロース本隊を迎えるまでの2泊3日。

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士幌高原ヌプカ

 

ボクが、以前企業研修などで提供していた、大人向けのトレーニングを、思春期の子どもたち向けのリーダシップトレーニングに手直しをしたものだ。

 

*初めて読む方、グロースセミナーは、小中学生対象の「自立のための野外体験学習」です。北海道十勝にある士幌高原で、毎年夏に行われているキャンプ実習です。

http://www.cof.or.jp/hokkaido_growth/

 

参加者はAST、TKT、YKの中3男子3人と、中2女子のMKの計4人。

 

このリートレの目的は、

青春期を目前にした彼らが、これから高校、大学進学や社会人になっていくうえで、「自分」という存在にしっかりと向き合ってもらうため。

多くの人のためのリーダーになるというよりも、自分という人間のリーダーになっていくためのトレーニング。

 

まずは、「リーダーって、何?どんな人?」と、彼らが持っているイメージを問いかける。

ありきたりな、人をまとめるとか、引っ張るとか、そんな一般論ではなく、彼らなりに描くリーダー像をきちんと言語化することから始める。

当然、正解はないから、自分の考えをひねり出さなければならない。

 

「人がついてきてくれるように、楽しい場を作れる人」

「まとめるだけじゃなくて、楽しむ場を作る」

「まとめるのも大事。自分も楽しくてみんなも楽しめる」

「自分の考え、行動についてくるような人」

 

彼らなりに考えて紡ぎ出した言葉。

これを、ボクは、あれこれ正すつもりはまったくない。

大事なことは、これをこのリートレで実践し経験をしていくこと。

「言っていることと、それを生きること」を学んでほしいのです。

そのうえで、また自分なりのリーダー像が生まれていくはずだから。

 

世の中の、既成概念や、一般論ではなく、自分なりの考えや実践を経験する場がグロース。

そのための環境を提供していくのがボクの役割です。

 

そんな中で初日の夜のこと。

さっそく、彼らにとっての大きな学びの瞬間が訪れました。

 

リートレでは、食事は自分たちで作ります。料理が得意だ、というメンバーもいて、4人で楽しく通り始めた。

ボクと同行している千奈の分を含めて6人分。

 

しばらくして、様子を見に行った千奈から、

「4人に何かあったらしくて、YKが料理をせずに部屋にこもっている」と。

 

グロースでは、何かしらの問題が起きたときにこそ、大きな学びを得ることが多い。

 

さっそく料理部屋に行って確認。

「YKがいないけれど、何があったんだ?」

すると、3人は神妙な顔つきで説明を始める。

「YKが、自分も料理を作りたいと言ったんだけど、軽い冗談?を言ったことで、YKが機嫌を損ねてしまったらしい。」とAST。

謝りにも行ったけれど、

「食事はいらない。次のトレーニングが始まったら参加するからいい」と言われたとのこと。

 

ボクはさっそくYKを呼び、4人全員からヒアリングをする。

 

勝手な解釈や憶測を避けるために、全員の前でひとり一人から聞きます。

でも、それは原因探しをすることが目的ではありません。

誰が悪くて、誰が間違えているのかは全く関係がないのです。

 

大事なことは、今まさに起きていることが、自分たちの欲しい状態なのかどうかに気付くこと。

彼らは、それは欲しい状態ではない、と言う。

そうなると、一般的には、「じゃあ、どうすればよかったのか」という反省モードの話になりがちだけれども、グロースでは、「本当はどうしたかったのか」を考えてもらいます。

 

YKは、「自分も料理を作りたかったのに、お前は必要ないと言われて、、、」

ASTは、「軽い冗談のつもりで言って、YKが怒ったから謝りに言ったけど、、、」

すかさずYKは

「サッカーボール蹴りながら謝っても許せるわけじゃないじゃないですか!」

 

こういうケースだと、

「原因」追究。

たとえば、ASTの軽い冗談と謝り方。

ありがちなのは、原因を作ったASTに謝罪をさせる。

さらには、途中で料理を放棄したYKにも反省を促す。

残りの二人にも、何かできたことがあるだろう、と考えることを促す。

これで一件落着。

握手でもさせればそれでおしまい。

 

でも、これでは、学びにはなりにくい。

グロースでの学びは、いい悪いを見つけることではないし、反省させたり悪いと言う点を改善させるためでもない。

 

実は、ちょうど料理を作り始める前のトレーニングで、大事な学びを彼らはしていました。

何かを目指すときに、「そのチームのつながりが、結果を作り出す」ということ。

言い換えれば、チームのつながり度合いの、そのままの結果として目の前に現れるということだ。

 

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実習をやり遂げた達成感

どれだけ、本気で向き合い、お互いを認め、ビジョンを共有し、与えあうかかわりであるのかどうか。

うまくいかなかったときに、その原因を探すのではなく、あらためてチームのつながりにきちんと向き合ってみるということ。

 

4人にとって、お互いに向き合い、真のつながりを作り出していく、とてもいいチャンスが訪れたのです。

秋の学術大会 2編 京都と大阪です。

3年に一度の ICOM 国際博物館会議が、9月1日から7日 京都で開催されました。

テーマは「文化をつなぐミュージアム ―伝統を未来へ―」

 

さらに、9月6日、7日の2日間は、大阪で日本健康科学学術会議。

こちらのテーマは「アート・デザインと健康」

 

昨年依頼があり、この二つの学会に、アートセラピーという立場から、講演やワークショップでの参加を打診されました。

 

エストにとって、また私たちにとってこの上もなくありがたい機会をいただけるわけですから、二つ返事を受諾させてもらいました。

 

約1年も前のことでしたから、気軽に受け止めていたのですが、いざ近づいてきてことの重大さに少々気持ちがざわつきましたが。

 

ICOMでは、世界141の国や地域から数千人が参加します。

京都の美術館関係者が当日券を手にれられないほどの盛況だったようです。

 

ここでは、私が「美術館に期待することは何か?」というテーマでインタビューを受け、その様子は編集されてYOUTUBEで、世界中に配信されています。

(私は日本語で話し、英語のテロップが入っています)

全体で約30分です。

"Expectations to Our Museums" ICOM2019 (ALL MOVIE)
https://youtu.be/Sk2q__-W5jc

 

柴﨑のパートは

Interview - Kazutaka Shibazaki 
https://youtu.be/acEu2JKfzGw

 

私は、このインタビューの中で、クエストが展開しているアートワークカフェの重要性に関連し、美術館でもそのような取り組みをするように提案をしています。美術館を訪れたビジター自身がアートワークできるスペースがあったら、鑑賞だけでなく参加型の美術館に生まれ変わるわけです。

 

この映像には、イギリスで、2年間にわたる調査により、「アートが人々の健康に寄与し、そのことで社会福祉の予算や貧困、教育の問題の解決になっている」という膨大な報告書作成に携わった、レベッカさんの基調講演をしています。

 

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京都国際会議場と、会場内の様子

また、建築家のエドワード鈴木氏、フラワーボックスで著名なニコライ・バーグマン氏、さらにはホスピタルアートの第一人者である近畿大学の森口ゆたか先生が、インタビューに答えています。

 

国際会議の会場は、様々な美術館、博物館関連のブースが所狭しとでており、興味深い展示がたくさんありました。

なによりも、このICOMの芸術への取り組みの素晴らしさに圧倒されました。

 

もうひとつ、日本健康科学学会は、今年で35回目です。

 

千桂子先生は「アートセラピーの現状と挑戦」という演題で約1時間の講演を行いました。

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日本健康科学学会講演

他のプレゼンターの方々も、別のジャンルでありながら、アートがいかに健康に寄与しているのかを報告していました。

 

パネルディスカッションでは、理事長の医学博士の信川益明氏から、柴崎千桂子が実施した、「世田谷一家殺害事件後の取り組み」の重要性とその価値を、先日の登戸の通り魔事件後の対応の不手際と対比して、承認していただきました。

 

アートが健康に寄与する

 

このことが当たり前に認識される時期も、もうすぐなのかもしれません。

 

この貴重な経験と機会を与えてくださった、大伸社副社長 上平豊久様に心から感謝します。

 

今日は、学会でのワークショップです。

もう一仕事!

 

エストも、23年目を迎え、さらに充実した講座と、役立つ現場づくりに貢献していきます。
 

 

 

美術館に専任のアートセラピストがいる?

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ICOM

 

この秋に、国際博物館会議が京都で開催されます。

ICOMという名称で、世界最大の交際的非政府組織であり、141もの国々が加盟しています。

icom-kyoto-2019.org

 

日本で初めて開催されるこの会議では、基調講演として建築家の隈研吾が招かれています。

 

当初、ここでプレゼンを依頼されていたのですが、諸所の事情で、収録したビデオを流すことになりました。

 

フラワーボックスで知られているニコライ・バーグマンさんや、建築家のエドワード鈴木氏などに名を連ねて、私も収録をしてまいりました。

 

インタビューの内容は、YOUTUBEでも配信する予定らしいので、その時にはまたお知らせします。

 

今回、インタビューに向けていろいろと調べ物をしていた時に見つけたのが、専任アートセラピストがいる美術館というネットニュースです。

 

カナダ、モントリオール美術館に数名いるそうです。

 

驚くのは、そのカナダのシステムです。

 

なんと、カナダでは、ドクターが患者さんに「美術館に行く」という処方箋を出すことができるのだそうです。

 

アートに自己回復を助ける力があることを、実践している国があるわけです。

 

英国でも、すでに病院内で、アート、ダンス、音楽、などのセラピーを選択できる環境が当たり前に存在しているようです。

 

英国の登録セラピストである中山美生さんから、そのお話を聞いたときには、驚くやらうらやましいやら。

その先進的な取り組みに、希望があふれました。

 

日本でも、きっといつの日か、誰もがアートを治療として選択することが当たり前になる日が来るはずです。

 

エストでも、「生活にアートを」という願いを込めて、アートワークカフェを展開しています。

 

8月のイベントは、今話題の新国立競技場のすぐ近くで開催されます。

https://artcafe.questnet.co.jp/

 

アートの力を実感する時間を、是非日常の中で味わってみてください。

 

 

令和の夏が、もうすぐ始まる!

グロースセミナーの、下見兼現地各機関へのあいさつ回りに行ってきました。

 

毎年夏に行われるグロースセミナーですが、その前に必ず一度士幌に訪れます。

 

オヤジたちの協力を得ながら、士幌農協、士幌高校、士幌交通、そしてヌプカロッジに、「今年もお世話になります」とお願いに上がるのです。

そして、夜はオヤジたちと飲み交わす。

 

ボクが一年のうちで、オヤジたちとゆっくり話せる唯一の時間です。

 

今年は、第1回のグロースに参加したMICHIYOが同行し、なんと彼女は、今年のグロースにわが子を参加させます。

 

グロース初の2世代目の参加。

 

30年やっているからこそ、こんなすごいことが起きるんですね。

 

さて、当日士幌は土砂降りの雨。

 

挨拶を済ませ、ボクは毎年、「みずならの大木」を訪れます。

 

と言っても、何度かの落雷の末、数年前に倒れてしまう、今はその巨大な体を大地に横たえています。

 

それでも、森は死なず、その幹からは新たな命が空に向かって伸びています。

 

みずならの木は、ボクにとって、おそらく子どもたちにとっても神聖な存在でした。

今年の夏も、この大木までのナイトハイクは実施します。

 

その後には、農村自然公園の中を合羽を着こんで歩いて点検。

 

というのも、森の中の木道は傷みやすく、子どもたちが歩く時の注意点を事前にチェックする必要があるからです。

 

なんと、その雨の中、木道整備の方々が修繕をしていました。

 

知り合いではありませんが、毎年この場所を歩かせていただいているNPOです、と声をかけると、

 

「夏に子どもたちが来るというので、それまでに修理を終えておきます」

 

ありがたいお話です。

ボクたちのために?準備が進んでいるとは。

 

オヤジたちとの飲み会では、毎度オヤジたちの熱い熱いグロースへの愛情を受け取ります。

 

「しばちゃん、しっかりやってよ、今年も!」

 

何よりのお言葉です。

 

富さんは70歳を超えました。

 

貢さんも60代後半。

 

ボクとオヤジたちの高齢化は避けられないものの、気持ちだけは何も変わらずに、子どもたちへの愛情を熱く語り合いました。

この人たちがいなければ、グロースはここまで続けることは出来なかった。

 

今年も、素晴らしい体験ができるように、準備が始まった!

 

カラダの準備も始めなければ!

 

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士幌農村自然公園 入植以来の原生林

 

 

 

 

 

『評伝 昭和の女傑 松田妙子』

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『旺盛な欲望は七分で抑えよ』


手元に一冊の本がある。

 

先日、「お別れの会」で頂いた。

 

松田妙子氏の評伝である。

 

昭和を生きた、いや未来を作り出したと言ったほうが間違いない、女傑。

 

この本は読み始めたばかりだけれども、お付き合いはもうかれこれ10数年になる。

 

アートセラピーは、日本では正式な資格として認められていない。

どこのスクールも、自分で認定を出すことぐらいしかできないし、クエストも当初はそうだった。

 

当時、文科省の外郭団体だった(現内閣府所管)、生涯学習開発財団の理事長であった松田妙子氏から、

アートセラピー、いいじゃない、がんばりなさい」

という言葉をいただき、財団の認定を出していただけることになった。

 

豪快で、歯に衣着せずに発する言葉は、時に厳しく時にやさしさのあふれたものだった。

 

アートセラピーは、現代人のストレスケアにとても役立って、、、、」

と言いかけると

 

「 Stress !  What !  ストレスの何がいけないの?ストレスは生きていくのに大事なのよ、ストレスを悪者にするのは許さないわ!」

 

90を間近にした女性とは思えないほどに、ピシャっと言い放っていた。

 

92歳になる今年、お元気なまま、ご本人の言っていた通りに「ピンピンコロリ」で、あっという間に旅立って行った。

この世でのお役目にけりをつけたのだろうか。

 

先日のお別れの会には、会場から人があふれるほど。

献花台の遺影は、今すぐにでも何かを話し始めそうだった。

 

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若かりし頃の理事長。まさに才媛。

 

戦後まもなくアメリカにわたり、大学卒業後に米NBCに勤務し、プロデューサーとして辣腕を振るう。

 

まだ、女性が働くこと自体がまれだった時代の、昭和30年代の話だ。

 

帰国後は、日本の住宅建築に一石を投じたツーバイフォーを普及させ、エイジレスの課題に取り組むために「生涯学習開発財団」を設立した。

 

現在放映中の大河ドラマ「いだてん」に登場した、大森兵蔵と安仁子は、彼女の叔父と叔母である。

 

数々の功績を残し、藍綬褒章昭和天皇から授与されている。

 

もう、理事長にはお会いできないけれども、ボクの耳にはいまでも声が響き残っている。

 

「いいじゃない、しっかりおやりなさい!」

 

理事長、ありがとうございました。

 

合掌

 

 

 

 

 

読み終わりたくない本

読み始めて物語の終盤に差し掛かって、もうすぐ読み終えてしまうさみしさを覚える時がある。

 

物語の世界にたっぷりと入り込み、その世界の住人の考えや感情に共感し、あるいは反発しながら読み進む。

 

久しぶりに文庫上下巻を一気に読み終えた。

 

蜜蜂と遠雷恩田陸

物語はピアノのコンテスト。

 

超絶技巧のピアニストたちがしのぎを削る。

 

クラシック音楽に詳しくないのだけれど、読みながら、その音楽に触れたくなる。

 

YouTubeを酷使して、登場する楽曲を検索しては、にわかクラシックファンになる。

 

第1次予選、第2次予選、第3次予選と、登場するピアニストたちのコンテストに賭けるそれぞれの思いに触れながら、数百年前の音楽に触れる。

 

バッハ、ショパンラフマニノフドビュッシー、リスト、チャイコフスキープロコフィエフなどなど。

 

以前にも、高校のブラスバンドを舞台にした『楽隊のウサギ』中沢けいに、涙したことがあるのを思い出す。

 

庄野英二の『星の牧場』では、読みながら聞こえないはずの音楽が聞こえてきた。

 

でも、『蜜蜂と遠雷』のスピード感と迫力にボクはすっかり魅せられてしまった。

 

出会いは、書店。

直木賞本屋大賞の両方を受賞したということで、平積みどころかひと島まるごと、これでもかっていうほどに、この上下巻で埋まっていた。

 

音楽はもともと大自然の中ににあったもので、知らないうちに人間の社会の中に閉じ込めてしまった。だから、音楽を外に連れ出す、という登場人物の言葉は心に残る。

 

物語は、本当に心を豊かにしてくれる。

 

本を読んでいる時間が好きだ。