あたりまえのこと
ボクたちは、たくさんの ” あたりまえ " の中で生きている。
いつも通りの朝がやってくるはずだし、いつも通りの友がそこにいてくれる。
愛する人も大切な家族も、勤めている会社も、自分に与えられている仕事も、毎日の中に ” あたりまえ " のように存在している。
でも、 ” あたりまえ " はもはや ” あたりまえ " ではないことを突きつけられている。
仕事を失う人もいるし、突然大切な人を奪われてしまう人もいる。
必至に元通りの ” あたりまえ " を取り戻そうとしている人もいる。
正直なところ、” あたりまえ " が、もう今までの ” あたりまえ " ではなくなっていることを、すぐには受け入れられない。
でも、ボクたちは、あたらしい ” あたりまえ " を創り出して、日々新しい一日を創り出していかなければならない。
先日、WEB講演を依頼された。
会場ではなく、オンラインでの講演は初体験!
「まさかの時に問われる自分軸」と言うテーマで、話しをさせてもらった。
オンライン講演自体、ボクとって「まさか」だった。
それでも、今のご時世にマッチしたテーマだったからなのか、好評だったようだ。
ボクは、30年以上、目の前の参加者とやり取りをしながらの講演や講座をやってきた。
でも、今回は、目の前に人はいない。
約一時間以上、ただ一人話し続ける。
目の前に人がいて、話したら反応があって、声が聞こえて、空気感を感じる。
おもしろいことを言って笑わせて、受講する目的意識を高めるために工夫する。
価値ある時間を過ごせるように、30年の経験を活かす。
それが楽しいし、面白いし、そのやり方がベストだと信じていた。
このスタイルが、ボクにとって ” あたりまえ " のことだったのだけれど、今回は勝手が違った。
PC画面には誰もいない。
録画で、そこには参加者がいない。
だから反応も見えないし、声も全くなし。
それでも、後半、ふと「おい、結構一人でもいけてるじゃない」と、夢中に話している自分を客観的に見ている自分がいた。
今年になって、いろんな新しい一歩を踏み出すことになった。
止むを得ず始めた一歩だけれど、結果としては、新しい自分に出会う一歩になっている。
老年期を迎えてもまだ、チャレンジさせてくれる人生がありがたい。
いままでの ” あたりまえ " を、より広範囲に広げた、あたらしい ” あたりまえ " を創り出していく。
これも楽しそうだ。
変化するのは誰にとっても、億劫だし勇気がいる。
でも、人類には、きっとそういう力が与えられている。
未来の自分に、きょうまた種を植えていこう。