講演会、、やりました。
「子どもが自立していくための関わり方、育て方」と題した講演会。
準備した席がすべて埋まって、盛況のうちに終わりました。
ボクが話したことは、もっともな理論というよりは、30年間にわたって経験してきた子どもとのダイレクトな関わりから学んできたこと。
ボクとしては、いつも通りの話だったけれど、お母さんたちの反応は、どうやらとても大きかったようだ。
特に、 「問いかけ」と「承認」に関しては、興味深かったようです。
参加したFさんと、講演会の翌日に話をする機会がありました。
講演が終わって自宅に戻ると、6歳と3歳の子どもが、ブロックの取り合いで(いつも通りの)ケンカの真っ最中。
いつもなら、Fさんが介入して、ブロックを半分に分けて二人に渡して別々に遊ばせる。
でも昨日は、講演を聞いて「自立させたいのなら、その環境を与えてあげること」と言うボクの話が心に残っていたらしい。
Fさんがしたことは、
「二人でブロックを半分に分けて遊んだら?」と提案。
お兄ちゃんが早速、同じ形、同じ大きさのブロックをきちんと半分に分けた。
すると、そのままスッキリ遊び始めたらしい。
お母さんにやってもらうのではなく、自分の意思でそれを分けて、ケンカせずに遊んだ。
その様子を見ていて、自立させるための環境を与えたてあげることが、どれほど子どもたちを自由にするのかを実感したそうです。
「承認してあげましたか?」と聞いたら、「承認したんだけど、子どもたちは上の空で遊んでました」と笑ってた。
そう、それでいいんですよ。
子どもたちは、聞いていないようで、そのお母さんのエネルギーをちゃーんと感じていますからね。
講演会終了後には、親ゼミナールの申し込みをしていかれた方も数名。
http://questnet.co.jp/quest-self/14686/
子育ては、「育てる」前に、子ども自身が「育つ」環境を与えてあげることが大切。
悩めるお母さんたちが、思った以上に多いんでしょう。
そんなヒントで良ければ、これからもどんどん講演していきます。
どうぞ、いつでもボクを呼んでください。
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「子どもが自立していくための関わり方、育て方」と題した講演会。
準備した席がすべて埋まって、盛況のうちに終わりました。
ボクが話したことは、もっともな理論というよりは、30年間にわたって経験してきた子どもとのダイレクトな関わりから学んできたこと。
ボクとしては、いつも通りの話だったけれど、お母さんたちの反応は、どうやらとても大きかったようだ。
特に、 「問いかけ」と「承認」に関しては、興味深かったようです。
参加したFさんと、講演会の翌日に話をする機会がありました。
講演が終わって自宅に戻ると、6歳と3歳の子どもが、ブロックの取り合いで(いつも通りの)ケンカの真っ最中。
いつもなら、Fさんが介入して、ブロックを半分に分けて二人に渡して別々に遊ばせる。
でも昨日は、講演を聞いて「自立させたいのなら、その環境を与えてあげること」と言うボクの話が心に残っていたらしい。
Fさんがしたことは、
「二人でブロックを半分に分けて遊んだら?」と提案。
お兄ちゃんが早速、同じ形、同じ大きさのブロックをきちんと半分に分けた。
すると、そのままスッキリ遊び始めたらしい。
お母さんにやってもらうのではなく、自分の意思でそれを分けて、ケンカせずに遊んだ。
その様子を見ていて、自立させるための環境を与えたてあげることが、どれほど子どもたちを自由にするのかを実感したそうです。
「承認してあげましたか?」と聞いたら、「承認したんだけど、子どもたちは上の空で遊んでました」と笑ってた。
そう、それでいいんですよ。
子どもたちは、聞いていないようで、そのお母さんのエネルギーをちゃーんと感じていますからね。
講演会終了後には、親ゼミナールの申し込みをしていかれた方も数名。
http://questnet.co.jp/quest-self/14686/
子育ては、「育てる」前に、子ども自身が「育つ」環境を与えてあげることが大切。
悩めるお母さんたちが、思った以上に多いんでしょう。
そんなヒントで良ければ、これからもどんどん講演していきます。
どうぞ、いつでもボクを呼んでください。
「子どもが自立していくための関わり方、育て方」
わが子を「自立した人間に育てたい」、と、多くの親は当たり前のように思う。
「自立」と言うのは、誰かに頼ることなく何でも自分で物事を決め、行える、ことを言う。
でも実際生きていて、自分一人で物事を行うことなんて、大人だって難しいことはわっている。
何でも自分だけで頑張っているうちに、気づいたら孤立してしまうことだってある。
結局、何をもって「自立」と言うのか、その定義はいたって曖昧だ。
「おまえは自立しているのか?」と真正面から聞かれたら、この年になってもはっきりとは答えられないかもしれない。
そして、その自立の対極にあるのは、「依存」。
誰かがいないと存在が成り立たない状態をいう。
それでいて、助けてほしい時に声を上げられず、助けを求めることもできない。
自分はそんな人間ではないと思いたいし、そんな人間には、なって欲しくないと誰もが思うだろう。
両親は他界しているものの、「今だに依存していることはあるだろう」と突きつけられれば、ボクにも思い当たるところはいくらでもある。
それでは、自立した子どもに育てるには?
これは、簡単なことではない。
そもそも、自立しているかどうか疑わしい親や教師だってたくさんいるのだから。
子どもだけでなく、自立した人間に育つ上で、かかわり方に役立つ大事なポイントは二つ。
「問いかけ」と「承認」
問いかけは、質問とは違う。
人と人の心をつなげていく魔法のようなコミュニケーションスキル。
判断もないし、決めつけもない、ましては誘導もない。
本人が、自分で考え、自分で決断していく心を育てていく。
先生の言うことをよく聞くように、とか、親の言うことは絶対だ、という言葉が通用するほど、誰もが認める価値観を持つ大人は現代社会には、なかなか見当たらない。
この問いかけは、問いかける側の心の在り方がとても重要になってくる。
そして、もうひとつの承認は、自己肯定感を高めていく。
自信が欲しい、と多くの人が言う。
目には見えない自信を追いかける前に、どれだけ自分を認め、自分を肯定している感覚を持っているのか。
自分を信じる力、これが文字通りの自信。
承認は、自分が尊重され、評価や判断のない、自分らしさを認めることにつながる。
ありのままの自分が好きだという人もいる。
もちろん、それはそれでいいのだけれども、そのままの自分、では成長がない。
ありのままを受け入れたうえで、自分を高めていく努力は重要だ。
この承認は、承認される人の心を育てるだけでなく、実は承認する側の心も育てていく。
この「問いかけ」と「承認」の二つは、自立でもなく依存でもない、
「相互依存」を生きる人間に育てることができる。
助けが必要な時には、それを求めることもできるし、手を差し伸べることもできる。
お互いに与えあう関係性を築くことができるのだ。
私たちが求める、自立の理想は、この相互依存なのだ。
今月、旺文社から出版された
「親が知っておきたい大切なこと」シリーズの
『自分で解決できるようになる 友達関係』
は、ボクが監修をさせていただいた。
出版記念講演では、この「自立」をテーマにお話をしていきます。
【書籍監修】旺文社 親が知っておきたい大切な事② | クエスト総合研究所
お楽しみに!
<講演会 お申し込み・詳細はこちら>
1年1組せんせいあのね
「あのねちょう」で名が知れている鹿島和夫先生。
1年生の児童と、毎日「あのねちょう」で交流を続けてきた。
古書で購入した『1年1組せんせいあのね」シリーズを読んでいると、子どもの視点がほほえましい。
いや、それどころか、その視点の鋭さや奥深さに驚かされる。
あのねちょうにある えぐさ たくや君の詩
「にんげん」
せんせい
にんげんは
なんのためにいきているんですか
ぼくは
たっぷりあそんで
たのしむためだとおもいます
せんせいはどうおもいますか
先日、今年のグロースセミナーのファイナル「フォローアップセミナー」があった。
ひとりひとりを承認し、あっという間に楽しい時間が過ぎてしまった。
最後は、中学3年生の3人の卒業式。
この3人の保護者達は、一様にこのグロースセミナーに感謝の言葉を涙ながらに伝えていた。
「自立していく喜びと、母親の役割を卒業していく寂しさ」を分かち合ってくれていた。
卒業する3人には、今まで描き続けた絵や作文を返し、まだ幼かったころの写真を貼った寄せ書き帳を渡した。
きみにとってグロースって?
最後に彼らに聞いてみた。
しばらく無言の後に、絞り出すように「言葉にはできない」と答えたKIC。
来年はイントラで帰ってくる、と力強く宣言していた。
うれしいことを言ってくれる。
「居心地のいい場所」と答えたYTAは、海外の高校に留学することを決めた。
東北大会で銀賞を取ったブラスバンドの演奏を聴かせてくれたKGAは、2回しか参加していないのだけれど、「毎年自分を変えてくれるところ」と答えていた。
彼らの心の中に、グロースはこれからも長く生き続けていくし、そうあってほしい。
そう、人生は楽しむためにある。
だから、試練があって、苦悩もある。
それがあるから楽しさは倍増する。
子どもたちは、いつも、それと知らずに真理を口にする。
<特別講演会と親ゼミナール>
グロース後記
7月にスタートした今年のグロースも終わった。
あとは、17日のフォローアップを残すだけ。
季節が変わり、あの夏の出来事がずいぶん昔のことのように思えてくる。
ボクが、子どもたちとのかかわりを始めたのは、30年前。
大宮の小学生対象の大宮JCの活動だった。
最初は、まったくうまくいかなかった。
気負っていたし、まだボクも若かった。
必死に、子どもたちをコントロールしようとしていた。
だから、思い通りにはいかない。
集合!と声をかけても、反応するのは低学年だけ。
どんな実習をやっても、手ごたえはなく、子どもたちとのつながりは全く作れなかった。
信頼がない。
あの時の、挫折感や無力感は今でも覚えている。
というよりも、その経験から学んだことが、今のボクの軸になっている。
本気でかかわること
あれこれ考えずに、目の前の出来事に飛び込んでいくこと
子どもたちの力を信じること
ボクにできることは、子どもたちがどうしたいのかを、その心の声を聴き続けることだけだった。
そんなボクと子どもたちとのかかわりに興味を持ってくれた、旺文社の編集者がいる。
山野友子さん。
彼女が手掛けた「学校では教えてくれない大切なことシリーズ」が、ベストセラーになっている。
この、子ども向けのシリーズは、子どもだけでなく、親はもちろん学校の先生たちも愛読していると聞く。
それなら、と言うことで、親向けにも新しい企画で出版することになり、ボクに声がかかったという次第。
「監修をお願いします」と言われ、気軽に「いいですよ」と答えたものの、話しが進むうちに監修と言う役割が、思っていた以上に責任重大だということに気づかされた。
ライターの方や、編集者の山野さん、と何度も何度も打ち合わせを重ね、ついに9月19日に書店に並ぶことになりました。
友だちに仲間外れにされたとか
貸したものを返してもらえなかった、
好きな子と同じ班になれなかった事で悩んだり、
子どもたちは、ほんの些細なことで悩みます。
いや、些細なんてことは言えません。
悩みに大きいも小さいもないのですから。
我が子が悩んでいることが気になると、親は、ついつい介入しすぎてしまうことがあります。
でも、その心配は、子どもにとっては大きな負担。
子どもは子どもで、介入されたことで返って心を閉ざしてしまいます。
おまけに親同士の面倒なかかわりもある。
心配するのは親の仕事、なんていう人もいるけれど、親は親で悩みは多いのです。
そんなとき、子どもにどうかかわればよいのか、と言うボクの経験からのアイディアが、漫画と解説付きで紹介されています。
親と子ども、先生と生徒、悩ましい問題は、そこに信頼が創り出されないこと。
子どもの立場から見れば、信頼できる大人がいない。
グロースでは、好き嫌いはあるだろうけれど、そこには絶対的な信頼関係が築き上げられている。
子どもたちとしばしば、イントラ、サポーター、そして保護者。
ボクが、グロースの原点で学ばされた、子どもとの関わりで一番大事なこと。
「これだけ長く、子どもの心に寄り添ってきて、信頼を創りだしてきているんだから、そろそろ、あなたのその独特なアプローチを世の中に伝えていくことも必要なんじゃないの?」とパートナーである千桂子先生に繰り返し言われた。
その瞬間瞬間で目の前の子どもに飛び込んできた。
その都度子どもたちから学んできたことばかり。
果たして言葉にまとめられるのかどうかはわからないけれど、せっかくなので、この機会に、「親向けゼミナール」を開講することにしました。
カール・G・ユング(分析心理学)は、こんな言葉を残しています。
「子どもたちのことで、何かを直してやろうとするときには、いつでもそれは、むしろ我々の方で改めるべきことではないかと、まず注意深く考えてみるべきである」
親自身の成長があって、初めて子どもの成長に向き合える。
私の経験が役立つのあれば、是非時間を取っていらしてください。
イントラ、サポーター、士幌のオヤジたち、気球の山下さん、士幌高校のみなさん、ロッジヌプカの支配人とスタッフの皆さん、ご理解いただいている保護者の皆様、そして、参加した子どもたち。
今年のグロースも、素晴らしい時間をみんなで創り出せたことを誇りに思います。
長期間にわたるブログをお読みいただき、ありがとうございました。
29回グロースセミナー最終日
東京では早朝から30度を超えるような暑さの中、士幌高原の朝は気温9度。
7時に起床し、朝食をとってから部屋の片づけや清掃をする。
10時30分にはこのヌプカを出発しなければならない。朝から忙しい。
ロッジ前に荷物出しを終えて、9時30分に高原の少し高台で集合する。
ここで、最後の実習「ミドルネームの宣言」をする。
ミドルネームは、苗字と名前の間に、自分の夢を実現するために大事な言葉を入れて宣言する実習。
自信
本気
あきらめない
全力
信じる
こんな言葉をミドルネームに選ぶ子どもが多い。
士幌の町を見下ろす高原から大声で宣言するのは気持ちいい。
ミドルネームを考える時間、そしてそれを全員が宣言する時間を考えると、ぎりぎり。
9時20分。
ボクが、高台で待ち受けていると、続々と準備を終えた子どもたちが上がってくる。
ところが、はるかロッジ周辺でリーダーたちが集まっている。
スタッフに様子を見に行ってもらうと、
「AOTが、ハンカチをなくしたみたいでリーダーたちと荷物の中を探している」という。
そういえば、AOTは小さなタオルのハンカチをいつも持っていた。
9時25分。
突然、リーダーから、
「みんなー、こっちに降りてきてー、AOTのハンカチがないから、みんなの荷物の中をさがしたいからー」と声がかかる。
全員がロッジまで行こうとするところを、すぐに止める。
「ちょっと待った! もう集合時間になるから一旦こちらに集まれ」
9時30分を少し回った頃に全員集合。
「リーダー、何が起きているのか教えてくれ」
すると、KOGが、
「AOTのハンカチがなくて探していた。」という。
AOTは、
「もともとなかったのかもしれないからもう大丈夫です」という。
KOGは、
「いや、AOTが持っていたのを僕は見ているから絶対にある。AOTの荷物の中にはなかったから、誰かの荷物に紛れているかもしれないから、探したい」という。
時間が、気になるけれども、うやむやにはできない。
「そうか、KOGは、探したいんだね?」
「はい」
AOTは「もういいです。大丈夫ですから」と何度も言う。
「大丈夫じゃないよ、ちゃんと探さなきゃだめだよ」と言う声がかかる。
他のリーダーは?と聞くと
KICは、
「全員の荷物を探すのは大変だから、AOTの近くにいた人の荷物を探せばいいと思う」
MIKも、同意見。
YUTは、
「今は探す時間もないし、家帰ってからでいいんじゃね?」と、合理的な意見を出す。
当の本人は、探さなくてもいいと言う。
リーダーたちの意見は、それぞれ。
そして現実はこのことを話しあっている時間があまりない。
「よし、整理しよう、KOGは、探したいんだね?それはどうして?」
すると、
「そのハンカチを持っているのを確かに満たし、絶対にあるんだから探したい」という。
リーダーたちの意見は、それぞれにAOTへの思いに溢れている。
「まぁ、まぁ、そこんところはいいんじゃないの?AOTもいいって言ってるし、ハンカチ程度の事なんだから」
と済ませることは出来るんだけれども、グロースでは、こういうことが起きたときこそ子どもたちにとっての大事な時間になる。
みなさんなら、どうするでしょうね?
その時のボクは、ひとりひとりの意見を聞き、ひとりひとりの意見に共感した。
リーダーたちは、それぞれ自分の考えを言い、その考えは、AOTを大切に思う気持ちが表れている。
誰の意見が正しくて、誰の考えが間違えている、なんてことは全くない。
こういう時に大事なのは、それぞれが、自分の考えをきちんと表明したこと。
だからこそボクには、それを判断することはできない。
できることは、それぞれの意見を尊重することだけ。
「KOG、KIC、MIK、YUT大事な意見をありがとう。ただ、残念だけれども、残された時間は少ない。この大事なことに簡単に結論を出すことは出来ないから、いったんしばしばに預からせてくれるか?」
うなづくリーダーたち。
「AOT、お前のハンカチのために、時間のない中でこんなに真剣にかかわってくれてるぞ。みんなになんか、言う事はないか?」
「ハンカチは持ってたのかどうかわかんないです。みんなで探してくれて嬉しいです。みんなも頑張ってください。」
???? このとんちんかんな応答がAOTのユニークなところ。
結構緊張した場面で、全体を一気に和ませてくれる。
つい「おいおい、お前のことだよ頑張るのは」と突っ込みを入れたくなるところだけれど、全員大爆笑。
一旦このことを完了して、大急ぎで、ミドルネームの準備に入る。
グループごとに、決まったミドルネームを宣言していく。
大声を出せる子もいれば、声を張りあげることの出来ない子どももいる。それでも順調に進んでいた、はずなのだけれども、CHRのところで、、、、止まってしまった。
あの、MTBの階段チャレンジで、なかなか踏み出せなかったCHR。
元々言葉は少ない。
宣言の場所に立ったものの、ずっと居心地の悪そうな様子で、宣言をしない。
しばらく待ってから、
「CHR、ミドルネームは決まってるのか?」
と聞くと、まだ決まっていないという。
「そうか、ミドルネームの宣言はしたいのか?」と聞くと、ゆっくりとうなづく。
「じゃぁ、決めて宣言しよう」とうながすものの、いくら待っても黙っている。
CHRは、ボクとはほとんど話さない。
けれども、グループの子ども同士や、サポーターに笑顔で話し込んでいる姿を何度も見てきた。
だからCHRには間違いなく表現する力はある。
でも、それまでの人生で、何かを伝えることをやめなければならなくなってしまった「何か」があったにちがいない。
過去の自分に囚われてしまうことは、誰にだってよくあること。
そのことで、つい
臆病になったり、
人を信じなくなったり、
弱気になったり、
ネガティブになったりする。
自己肯定感がなくなってしまう。
そしてそんな自分を本当の自分だと思ってしまう。
そんなはずはないのに。
CHRはまだ中学1年生だ。
いくらだって、新しい自分を生きることができる。
いや、もともとの自分を取り戻すことができる。
「MTBのときに、CHRは、新しい自分に会えただろ?今もそうだ。一歩踏み出して、また新しい自分に会ってみよう。しばしばがアイディアを出すから選ぶっていのはどうだ?」
CHRが小さくうなづく。
〇〇自分を信じるCHR
もうひとつは、
〇〇一歩踏み出すCHR
どうだ?
しばらくの沈黙ののちCHRは、小さな声で、
一歩踏み出す、を選んだ。
よし、それを宣言しよう。
このやり取り、気づいたらずいぶん長くやっていた。
その間、ボクとCHRのやりとりは、全く聞こえていなかったにもかかわらず、全員ずっとこのやり取りを見守っていた。
全員が、こういった瞬間を大事にしているし、
全員が、それを自分のことのように受け止めている。
CHRは、小さな声で、宣言した。
CHRが、勇気をもって一歩踏み出したことに、ボクはとても心動かされた。
CHRの宣言後、イントラ、サポーター、そしてボクも宣言をして、大急ぎでバスに乗る。
ロッジのスタッフの皆さんに手を振りながら、ヌプカを後にする。
あわただしくも、充実した5日間だった。
帰りのバスの中では、毎年恒例?の忘れ物の入った紙袋が置いてある。
名前が書いていない下着、タオル、ジャージや時には靴も。
袋の中を見ると「うん?」
「忘れ物があります!さてだれのかな?」
と、ボクが取り出したのは、あの、ハンカチ。
事情を察した全員が、大爆笑。
そう、AOTの、あのハンカチだ。
それだけじゃない。
ADIDASのソックス、タオル、ジャージ、次々と出てくるものはほとんどAOTのものだった。
ちゃんと、君は、みんなを笑顔でつなげてくれる。
楽しさの源だ!
バスの中は、5日間で子どもたちが作り上げた、あたたかで安心で、そして飛び切りの楽しさであふれている。
この帰りのバスの中で、うたた寝をするのが、ボクにとっての至福の時間だ。
29回目のグロースが終わった。
29回グロースセミナー4日目その2
夕暮れの中、ラストイヤーの3人が点火して始まったキャンプファイヤー。
グロースセミナーでは、最終日の夜に、4日間を振り返る大事な完了の時間を迎える。
子どもの頃のキャンプは、大人になっても心に残っている。
川遊びをしたり、森を歩いたり、虫取りをしたり、焚き火で飯盒炊爨をしたり。
どんなキャンプでも、子どもたちにとっては楽しい。
このグロースも、テント、登山、熱気球、MTB、ナイトハイク、高原実習など、盛りだくさんのプログラムがあるけれど、、、、
実はそれだけでなく、その実習に至るまでの「濃密なそしてとても大事な時間」を子どもたちは過ごしているから、より心に残るのかもしれない。
その時々で
自分の気持ちに気づくこと
したいことを自分で決めること
なおかつ、ひとりだけではなく、それを仲間たちと共有すること
上手くいこうが、上手くいくまいが、そんな時間を過ごした自分を認めること
これを繰り返す。
このプロセスを、グロースでは「承認する時間」と呼んでいる。
誰でも、褒められるのは嬉しい。
でも、それ以上に心に届くのが、「承認」
この違いを伝えるのは、簡単ではない。
(だからちょっと宣伝。近々、親ゼミを始めます。)
http://questnet.co.jp/information/14704/
「よく頑張ったな、えらいぞ」
「すごいじゃないか、さすがだな」
こういった誉め言葉は嬉しいし、励みにもなる。
「頑張っているのを見ていて、嬉しかったよ」
「すごいなぁ君は、、、ボクも君のようになりたくなっちゃったよ」
承認の言葉は、誉め言葉に似ているけれど、少し違う。
伝わることが、何か違う。
心に届く。
子どもへの関わりだけでなく、人との関わりでこの「承認」を身につけることは、関係性を劇的に変えていく。
キャンプファイヤーでは、イントラが一人ひとりに承認の言葉をかけていく。
黙って聞いている子どもたちの、嬉しそうな顔や、中には涙ぐむ子どももいる。
最後に、「〇〇と一緒に、グロースの体験ができて、楽しかったひとぉ!」と聞くと、
闇の中から、「はぁーい!!」とみんなの声が聞こえる。
キャンプファイヤの火が、子どもたちのやさしい表情をチラチラと照らしている。
そろそろ終えようとした頃に、病院からTKHとSOUが元気に?帰ってきた。
全員から大歓迎を受ける。
大事な仲間が無事に帰って来た喜びがあふれる。
薪のはぜる音を聞きながら、全員が一人ひとりに集中してその存在を認めている時間。
子どもたちが、お互いにふれあい、ハグしたり、笑いあっている。
この静かであたたかな時間が、ボクはたまらなく好きだ。
今年のグロースも、例年通り、いろいろあった。
なんとか、ここまでこぎつけた。
でも、最終日にも、まだまだドラマが待っていたとは、、、、、