自己肯定感、という言葉への戸惑い
2020年、少々さぼり気味ですが最初のブログです。
子育てだけじゃなくて、最近「自己肯定感が高い」とか「低い」とかいう会話を耳にします。
メディアでもよく言われている。
最近できた言葉ではないようだけれども、この言葉にちょっとした違和感を感じる。
この言葉を使うときに、自己肯定感が高い人、とか、あるいは低い人、と2分化される。
当然、低い人よりも、高い人の方が良いという意味で、高ければいいけれども、低い人はどうやって高めればいいのかと、解説までついている。
これが、ボクには、どうも納得がいかない。
たとえば、褒められて、それを素直に喜べる人は自己肯定感が高いひと。
でも、自己肯定感が低い人は素直に喜べない、という。
失敗しても、あんまり落ち込まない人は高くて、落ち込みがひどい人は低い、らしい。
自分のことをダメなやつだ、と言う人は低い人で、そうじゃない人は高い。
ある雑誌で、こういった点を細かく分けて、質問票にして、いくつチェックがつくかによって、高い低いを決めるきじがあった。
結果、「低い」という判断が下った人には、高めるための方法が書かれていた。
でも、ひっくいと言われた人は、結局それもうまくいかずに、「ほらやっぱり俺はだめな奴なんだ」ってことになりかねない。
やはり、これ、おかしい。
自己肯定感が高い人も落ち込むし、低い人だって、健気に生きている。
そもそも、高い低いの基準は誰が決めたんだ、そしてその基準はどこにあるんだ!
実は、その基準はとてもあいまい。
ボクがクエストや子ども未来研究所を通して伝えていることは、とてもシンプル。
- 自分のことを好きでいる。
- 自分を大切にする。
「自分のこと好きですか?」と聞かれれば、ボクは、「その時による」って答える。
YESの時もあれば、NOの時もある。
あるいはどちらでもないって答えるかもしれない。
要するに、誰が創ったのかわからない質問で、自分を判断するのではなく、自分に問いかけをしてみましょうってことなんです。
そして、自分に言ってあげられることは
「どんな自分に出会っても好きでいてあげましょうね」っていうこと。
「好きになる」と言うゴールに到着するのは難しくても、どんな自分出会ってもその自分を「好きでいてあげよう」ってことはできる。
落ち込んだってもいいし、自分のことだめだって思ってもいい。
たとえ、落ち込んでも、ダメダメな自分に出会ったとしても、そんな自分を丸ごと抱きしめて「好きでいてあげようよ、人生を最初から最後まで共に生きる唯一の自分なんですから、」ってことなんです。
そう、つまり、こういうことって、方法論を示すんじゃなくて、心の態度つまり在り方にフォーカスすることが大事なんです。
大切にしてますか?に関しても、そう聞かれたらYESか、NOしかなくなってしまう。
それよりも「自分のこと大切にしていこうね」っていう心の態度が自分にやさしい。
このニュアンスの違いはとても大きい。
伝わりますか?
自己肯定感が高いか低いかを調べるのではなく、自分を大切にする練習を始めましょう。
ボクが子どもたちとかかわる野外体験学習「グロースセミナー」は、毎日がその練習の繰り返し。
失敗しても、叱られても、うまくいってもいかなくても、最後に着地するのは、「自分が今ここにいる」という感覚。
自分のこと許して、自分のこと好きでいてあげよう。
「自分を認める」。
だから、ボクは「自尊感情」と呼ぶことにしている。
ここまで熱く語っておきながら、おいおいと突っ込みを入れられそうですが、
「自己肯定感を高める子どもへのかかわり方」というゼミをやってます。
もちろん、先に述べたように、方法論よりも大切な心の持ちようや、在り方についての勉強会。
興味のある方は、こちらへ。
https://questnet.co.jp/quest-self/17588/
それでは、今年もマイペースで書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。