29回グロースセミナー2日目その2
朝の5分間チャレンジを終えて、まずは、朝飯づくり。
山頂で食べるおにぎりを、自分の手で握る。
「おにぎり作った事がない奴はいるかぁ?」
・・・・・・・
誰もいない。
ところが、
手に水をつけすぎていたり、
反対に水がなくて、手のひらがご飯粒だらけになっていたり
ラップがないとにぎれないと言い出す始末
それでも、何とか作り終えて、登山入り口まで移動。
午前7時、約10分間隔で、グループごとに出発する。
最後のグループがチームふしなま。
出発間際になって、長袖を着ていない1年生MHRがいる。
山は、クマザサ、岩場があり、長袖は必須。
確認すると、MHRは
「持っていない」という。
持っていないはずはない。
昨日のテント設営の際にも、MHRは同じようにように服の準備ができていなかった。
これで2度目。
でも、こういう時にしばしばに叱られるのは、当事者ではなくリーダー。
間違いは誰だってあるけれども、それを何度も繰り返していることを叱られる。
おまけに、そのリーダーはMHRに
「さっきないって言ってたじゃん」と、若干被害者気味。
二人はしばしばに、どやされて大急ぎでロッジまで取りに行く。
グロースのリーダーは、学ぶことが多い。
起きた出来事を、つい人のせいにしてしまう意識を、
「自分が(も)それを作り出している」という、責任の立場を学ぶ。
これは、大人の社会でも全く同じ。
誰かのせいにすれば、責任がないように感じる。
時には、上手くいかないことをだれかではなく、自分のせいだと自分にダメだしすることもある。
誰かのせい、自分のせいにして、問題が解決するなら、いくらでもすればいい。
でも、それじゃあ、問題は解決しないし、誰も満足はできない事を知っている。
自分主体で考えた時に、初めて見えてくるものがあり、同じ間違いを繰り返さないで済むようになるのだ。
ようやく2人が戻ったと思ったら、今度はMHRは帽子をかぶっていない。
「MHR、帽子は?」
あわてて、また二人でロッジまで。
笑えるけれども、当事者はもう必死。
被害者でいる限り、学びは何度でも繰り返される。
チームで話し合い。
リーダーだけの責任でもない。
ふしなまチーム全体で、二度と同じことを繰り返さないための話し合いを始める。
これが、グロースの良いところ。
実習することがメインではなく、実習に向けて常に心と向き合い、仲間たちと試行錯誤する。
これがグロースの、一番の学びであり、子どもたちにとって、よい学びになっている。
結局このチームが出発したのは、8時を過ぎていた。
日差しが強く、山頂まで、やく2時間半。
途中、休憩や、いくつかのネイチャーゲームを実施しながら登り続ける。
白雲山は、霧や雲に覆われていることが多い。
雨に濡れながら登ることも。
でも、今年は快晴。
暑さでバテながらも、時折見える景色に疲れも吹き飛びます。
やがて、山頂への最終アタックの岩場。
そして、山頂からの絶景。
息を切らせ、声を掛け合いながら登り続けたご褒美は、格別の景色だった。
そして、待ちに待った朝食。
リュックの中で、ペシャンコになった握り飯は、自分で握ったからこそ、最高のご馳走。
食べ終わった子どもたちは、何度も岩場を上り下りしている。
特に1年生のRNTは、大声をあげながら、岩場を駆け上がったり、寝そべったりして、大はしゃぎ。
全員で登頂したことを承認して、下山。
ところが、下山の途中で、思わぬ出来事が進行中だった。