この世界にワタシは存在するか
「ワタシ」とは誰か。
紀元前からの謎であり、人類はその答えをあいまいにしたまま生き続けている。
答えが出てしまったら、人類は絶滅してしまうという学者もいた。
賢人タレスは「人生で最も困難な事は自分を知ること」と言っているし、ギリシャの神殿にも「汝自身を知れ」と記されているという。
「この世界にアイは存在しません。」
と言う数学の教師のひと言から始まる物語がある。
「二乗してマイナスになる、そのような数はこの世界に存在しないんです。」
数学は得意ではないので理解に苦しむけれど、
i × i = ー1
のことらしい。
i はその虚数単位。
しかしこの物語は数学の話ではない。
アイというシリアからの養女の話。
アメリカ人の父と日本人の母。
申し分ないほどに大切に愛されて育ったアイ。
しかし、なぜ自分が選ばれたのか、今この瞬間にも死に直面しているシリアの子どもたちの中のひとりでなく、なぜ自分だったのか。
アイは、幸せであればある程、苦しみ、自分のアイデンティティが消えていく。
だから、「この世界にアイは存在しません。」と言うひと言に、アイは自分を重ねてしまう。
自分が誰であるのかわからない。
苦しむほどにこのことに直面することは、人生で、そう度々はないだろう。
あったとしても、答えが出ないから、人の脳は、その混乱を避けるために、目の前の安易な答えの出ることに意識を向ける。
おいしそうな食べ物だったり、素敵な異性だったり、感動的な景色だったり。。。
アイは、両親に愛されれば愛されるほど、その事に苦しむ。
数々の幸福と、その事に苦しむことと、多くの試練の後に、その時々を一緒にいてくれたミナという親友に告白される。
「アイは、本当の私をくれた」
この言葉に、アイは気付かされるのです。
「それは自分の方だ」と。
この世界に自分が存在しているのは、いや存在出来ているのは、愛されたり、大切にされていたり、認められているだけでは、そうは思えない。
自分が自分をそれを認めない限り、つまり、
「この世界にアイは存在しません。」という言葉を信じている限り、
ワタシは、私にはなれないのだ。
若かりし頃、あるセミナーで、自分に誓ったことがあったのを思い出した。
「私は、自分を受け入れています!」
オイオイ、お前は受け入れすぎだろ、という突込みが聞こえてきそうですが、30歳の自分はそんな自分だった。
でも、今の自分の始まりが、この宣言だったのかもしれない。
あっ、この小説は、『 i 』
最近、娘の本棚を物色して読んでいるせいか、西加奈子が続いてしまう。
☆6月30日スタート