森を歩く~脳のスペースをつくる
今年最後のボクの講座は、「閃きと創造の人生学」
2年目を迎えた。
少人数での開催で、ボクとしても一人一人丁寧にかかわることができる。
閃きは創造と一体である
脳の専門家である茂木健一郎さんの言葉である。
ユング心理学でいえば、「アニマ(女性性)とアニムス(男性性)の統合による創造」ということ。
閃きは、どこからかやってくるのではなく、自分の内なる世界から湧き上がってくる。
閃きのセンスがないとか、
閃かないとかいう人がいるけれど、
それは、単に自我でブロックされているだけ。
初回は、土曜と日曜を使ってそれぞれのこれからの課題に取り組んだ。
そして、今日は、林試の森公園で「森を歩く」時間。
脳の閃きのためのスペースをつくるために。
一定のリズムで、呼吸を意識して、ひたすら「歩く」
ただそれだけの時間が、どれほど豊かな時間なのか。
この二日間ですでに、止まっていた時間を動かし始めた人もいる。
最後のメタ認知を使ったアートワークも、素晴らしかった。
この講座、ボクが言うのもなんですが、好きな講座です。
2期生の奇跡に、わくわくする。
ふと閃いて~アボリジナルアート
所用があって新宿へ。
久々に新宿を歩く。
人の流れにうまく乗らないとうまく歩けない。
早く歩けないし、追い越そうにも追い越せない。
こうなったら流れに身をまかせて、と歩いていると
「アボリジナルアート展」の案内が目に飛び込んできた。
これは面白そう。
さっそく会場へ。
新宿伊勢丹の5Fギャラリー。
どの作品も、ものすごいインパクトでメッセージを送ってくる。
パンフレットによると、
「もともと『読む』『書く』といった文字文化を持たなかった無文字文化で暮らすアボリジニの人々にとって、絵を描くということは、”伝達手段”の一つだったことはもちろんのこと、大地とかかわる自分自身の喜びの表現であり、またそのつながりを確認するための”儀礼”を自ら行っている、深遠な行為でもあるのです。」
アートが、伝達手段。
まさに、アートセラピーの神髄。
アボリジニのアートに魅せられて、そこで暮らそうと決めた、プロデューサーの内田眞弓さんのトークショーが、明日の午後2時からあるらしい。
ぜひとも聞きたい、、、、のだけれど、ボクの明日は今年のラストセッション「閃きと創造の人生学」
時間のある方は、是非行ってみるといいですね。
でも、欲しくなったアートはどれもこれも、、、高価だったぁ。。。。
またまたエニアグラムの話
今日の親ゼミは、熱心なお母さんたちが集まって「親と子のエニアグラム」
エニアグラム理論は、様々な教育関係の団体や個人が、講座として取り入れているようですね。
ボクは、もうかれこれ20数年。
日本にエニアグラムを導入したシスター鈴木に学んで、いまだに定期的なワークショップを行っている。
千桂子先生が、アートによる力を実感したのも、シスター鈴木のエニアグラムワークショップでの体験から。
当時はまだ珍しかったと思うけれど、ふんだんにアートを使っていました。
とある大学で、アートセラピーの勉強をされた、ともおっしゃっていたのを覚えています。
そういう意味では、クエストのアートセラピーは、シスターのエニアグラムがきっかけだとも言えるんです。
さて、「親と子のエニアグラム」。
親の心配や、おせっかいは、愛情からとはいえ、子どもにとっては負担になることが多い。
子どものタイプを知ることの前に、まず親自身が自分のタイプを知ることの方が先決。
この親ゼミでは、毎回ユングの言葉を皆さんに伝えています。
「子どもたちのことで、何かを直してやろうとするときには、いつでもそれは、むしろ我々の方で改めるべきことではないかと、まず注意深く考えてみるべきである。」
ゼミ終了後に、話をしたそうなそぶりのお母さん数名から個別に話を聞きました。
かなり深刻な悩み。
本当に大変で、つらい状況でした。
でも、実は子どもをなんとかしてあげることは、難しい。
冷たいようだけれども、子どもには子どもの人生があって、必要な試練を与えられながら成長していきます。
もちろん、できる限り子どもを愛することで守り通すのが親の仕事ではあるけれど、その介入の加減も難しい。
話をよーく聞いていると、やっぱり、お母さん自身がまず自分自身に取り組むことが問題解決の近道だということが見えてきます。
子育ては、悩みも多いけれど喜びも大きい。
今まで以上に、ボクの役割の重要性を実感します。
次回は、年明けの1月23日(ワンツースリーですね)
いよいよ、メインテーマと言ってもいい「承認」です。
https://questnet.co.jp/quest-self/14686/
コペル君とおじさん
このタイトルだけで、わかる人は、ははーん、あの本だなってことがわかるでしょうね。
『君たちはどう生きるか』
1937に新潮社から出版された16巻に渡る配本の最後に登場した児童書です。
そして今、漫画にもなってベストセラーを続けている。
いつか読まなくては、と気になってはいたものの、なかなか手にしなかった本の一つ。
読んでみて、噂にたがわず、子ども向けとは言いながら、学ぶことの多い物語でした。
コペル君は15歳。
父親を病気で亡くした彼と、おじさんとの間で交わされるノートが、智に溢れていてコ
ペル君だけでなく、ボクにも、多くの大人たちに気づきを与えてくれる。
コペルとは本名ではなく愛称なのですが、この不思議な名前のいわれは、読んで貰えば
わかるので省略します。
中学生のコペル君が、よくよく考えた事柄について、それをおじさんは心から承認したうえで、さらにその考察を広げる視点を与えてくれます。
ある時、友達と約束したことから逃げ出してしまったコペル君は、発熱をし学校に半月以上通えなくなってしまった。
体の具合が悪いだけでなく、友達を裏切ってしまった悔恨でいたたまれなくなってしまったのです。
自らに「裏切り者の汚名」をそそぎ続けたのです。
そんなコペル君に、おじさんは厳しく叱りながらも、そういった人間の弱さを伝え、そうした心の傷つきが一人の人間として成長するうえでどれだけ価値あることなのかと、やさしく慰め、励ますのです。
嘘をついたり、取り返しにつかないことをしてしまったり、自分がつくづく嫌になってしまうことは誰にでもあるでしょう。
どこかで過去の自分と照らし合わせながら、未完了だったその自分に光を注ぐような体験でした。
このおじさんのように、智にあふれ、丁寧に、そしてやさしく心を支えていける自分でありたいと、、、、。
学び多き作品でした。
コペル君とおじさん
このタイトルだけで、わかる人は、ははーん、あの本だなってことがわかるでしょうね。
『君たちはどう生きるか』
1937に新潮社から出版された16巻に渡る配本の最後に登場した児童書です。
そして今、漫画にもなってベストセラーを続けている。
いつか読まなくては、と気になってはいたものの、なかなか手にしなかった本の一つ。
読んでみて、噂にたがわず、子ども向けとは言いながら、学ぶことの多い物語でした。
コペル君は15歳。
父親を病気で亡くした彼と、おじさんとの間で交わされるノートが、智に溢れていてコ
ペル君だけでなく、ボクにも、多くの大人たちに気づきを与えてくれる。
コペルとは本名ではなく愛称なのですが、この不思議な名前のいわれは、読んで貰えば
わかるので省略します。
中学生のコペル君が、よくよく考えた事柄について、それをおじさんは心から承認したうえで、さらにその考察を広げる視点を与えてくれます。
ある時、友達と約束したことから逃げ出してしまったコペル君は、発熱をし学校に半月以上通えなくなってしまった。
体の具合が悪いだけでなく、友達を裏切ってしまった悔恨でいたたまれなくなってしまったのです。
自らに「裏切り者の汚名」をそそぎ続けたのです。
そんなコペル君に、おじさんは厳しく叱りながらも、そういった人間の弱さを伝え、そうした心の傷つきが一人の人間として成長するうえでどれだけ価値あることなのかと、やさしく慰め、励ますのです。
嘘をついたり、取り返しにつかないことをしてしまったり、自分がつくづく嫌になってしまうことは誰にでもあるでしょう。
どこかで過去の自分と照らし合わせながら、未完了だったその自分に光を注ぐような体験でした。
このおじさんのように、智にあふれ、丁寧に、そしてやさしく心を支えていける自分でありたいと、、、、。
学び多き作品でした。
人ってどうしてこんなに違うんだろう
エニアグラムのワークショップは、いつも驚かされてしまう。
人はみんな違うのは、わかってはいるものの、やはり普段はその違いを受け入れて共感したり、受け入れられなくて仲たがいをしたりを繰り返す。
ボクたちが生きている限り「何かとの関係」からは逃れられない。
関係性の中でしか生きられないのだ。
そのもっともなものは、この社会(世の中)と、自分以外の誰かとの人間関係。
そして、もう一つ大事なかかわりが、「自分との関係」
自分の「考え方のパターン」や「感じ方」そして「行動」を、見直せばよいのだけれど、それは簡単なことではない。
エニアグラムは、自分を知るヒントを単純明快に示してくれる。
さて、師走に入って、ボクの講座がいくつか続く。
5日が、3回目の出版記念の講演会。
まだ来れていない方は、連絡してください。
12日が親ゼミの3回目「子どものエニアグラム」
そして、もうひとつは卒業生限定だけれども、「閃きと創造の人生学」2期生。
現在進行中のアートアウェアネスの集中3日間もあるし、自分でいうのもなんですが、まさに師走。
皆さんも、風邪などひかず、走り抜けましょう。