教えるということ、伝えていくということ
心理学では、人間成長の発達段階が示されることが多い。
深層心理学のフロイトは「心理性的発達段階」として、特に子どもの頃の発達に関して。
発達心理学者と呼ばれるエリクソンは「心理社会的発達理論」として幼少期から老年期まで8段階に分けて考察している。
現代社会は、寿命がどんどん伸びている時代だから、エリクソンの言う「老年期」が一体何歳からなのかは、特定は難しいし、そんなものは個人差があって当然。
ボクは、月が明けたら65歳になるので、発達理論上は、老年期かもしれない。
老年期の主な仕事は、自分が経験してきたことを、次の世代に伝えていくこととされている。
いつまでも現実にしがみつくのではなく、潔く手放して、そのノウハウや経験をつぎの代にバトンしていくことが求められるのだ。
ボクは、と言うと、相変わらず大好きな仕事をしていて、それもボクにしかできないようなことをやり続けている。
でも、それだけじゃ、いけないな、って思って、
「さて何ができるだろうか?」と思案していた矢先に、先日来お伝えしている旺文社さんからの話があって、本が出版された。
ボクにできることの一つに、「子どもを自立させていくための親の大事な心構え」を伝えていけたらなぁ、と思ったわけです。
9月に一度講演会をやって、来週からは、「親ゼミナール」が始まる。
親は、親としての教育が義務付けられているわけじゃなくて、ぶっつけ本番がほとんど。
でも、きちんと学んでいれば避けられることや、子どもにとって親にとってもよいことがたくさんあるんです。
もちろん、ハウツーはすでに世の中に、そういった講座や書籍が山ほどあるだろうから、ボクの役割ではありません。
自分を見つめる講座をやり続けてきたボクだからこそ、できること、伝えられることがたくさんある。
特に、子育てという、ボクたちの未来を創りだしていくような大事なことにかかわっているお母さんたちには、子どもだけじゃなくて、自分自身のことをたっぷりと大切にしてもらいたい。
だから、ボクの30年以上になる経験を整理してお伝えしていきたいと強く強く思うのです。
9月の講演会が好評だったので、11月にも講演会を予定している。
さらに、いろんな地域や場所から「声がかかればでかけていきます!」と、つい調子に乗って宣言してしまった。
してしまった、と書いたけれど、じつはそんな風に声をかけてもらえたら、ボクの残りの人生は今よりもっと楽しくなりそう。
この年になって、新しい人との出会いがあるのは、なかなかないことだと思いますからね。
人生を一年で例えるなら、もうボクは秋から冬あたり。
でも秋だからと言って終わっていくというイメージよりも、さらに!高く!深く!極めていける、と、勝手に独りよがりで感じている。
と言うわけで、「親ゼミナール」は、5つのテーマを毎月やっていく予定で、ボクもとても楽しみにしています。
1回目は、「問いかけ」
質問じゃなくて、「問いかけること」で、子どもが自分で考える力を伸ばしていく。
子どもを自立させるには、親は親なりに覚悟がいりますから、お勉強は役立ちます。
あと数席だけあるようですから、時間のある方は是非お問い合わせください。
自分の中に自分を見つけたんですよ。
30代後半から40代にかけて、企業の研修をいくつか依頼された。
ボクがやる研修は、心理トレーニングで、「自分は誰で、いったい何をしたいのか?」と言ったテーマになるので、一般的には、その頃の企業にはあまり好まれなかった。
その頃の企業は、個人のことよりも、組織をどの様に円滑に活気ある状態にできるのか?、とか、そのために社員をどの様に活気づければよいのか?と言った具合に、企業のための研修が一般的だった。
自分のことに気付いたら、退職する人も出てくるかもしれませんよ、と事前に念を押して始めた、ある企業があった。
それでも、社員一人一人のことの方が大事だと判断した担当部長さんが、企画を通してくれた。
長野オリンピックを翌年に控えた年だったと記憶している。
その会社は全国にいくつも営業所があり、業績もぐんぐん伸び続けていた。
その営業所長さんや役員を中心に、かなりの回数の研修をさせてもらった。
その時の、担当の営業部長だったAさんは、その研修のすべてに立ちあってくれた。
どれほどの効果があって、どれほどその企業に貢献できたのかは、ボクにはわからないけれど、その後も折に触れて連絡をいただけているのだから、きっと良い研修だったのだと思う。
そんな縁もあって、その後、数年に一度、時には毎年のように
「先生、久しぶりにお食事でも」と声をかけてくれる。
ボクよりも5歳年上のAさんは、その後その会社の社長に就任するまでの実力者だった。
引退後は、企業のコンサルとして今も現役でバリバリと仕事をしている。
もうすぐ70歳。
だから、Aさんとのお付き合いは、20年を超えた。
そんなAさんが、飲みに行くたびに
「あの研修で学んでから」
「あの研修があったからこそ」
「あの研修で、、、、」
と、お世辞抜きで毎回感謝されている。
時代的にも、今よりもかなり厳しめの研修で、ボクも若かったからガンガン営業所長たちにチャレンジしていたし、彼らも時には涙を流しながら自分が自分自身でいることに気づいていった。
つい先日、そのAさんと久しぶりに市ヶ谷で飲んだ。
「あの研修で一番ショックだったのは、大事な人の表情を思い出してくださいって言われて、最近全く家族の顔を見てなかったことに気づいたことでした」と振り返る。
そして、繰り返し
「先生、あの研修で私は、自分の中に自分を見つけたんです。」
「若い経営者たちにも、それに気付いてほしくて懸命にコンサルしてるんでよ」
ボクは、感動した。
確かに、ボクはそんな研修をしていたし、アプローチは違っていても自分への気づきのために今もそういう講座を提供している。。
ボクが変わらずに伝え続けていることを、こんな風に大切に心の中に育てていてくれる人がいて、酒の席とはいえ、ボクにそんな感謝の言葉を伝えてくれる。
そして、Aさんは見事に自分の人生を謳歌して生きている。
「自分の中に自分を見つけた」
なんだか、この言葉が心地よい。
「先生、今度私とコラボしましょう、一緒に仕事しましょうよ。」
「空手形は打ちませんから、私は」
ありがたいお話です。
30年もやり続けていることが、間違いのないことで、そんな風にいろんな人たちの人生に何かしらの違いを創り続けているんだと思うと、今目の前の問題なんか、ふっとんでしまう。
やはり、
「今の一歩は、間違いなく希望溢れる未来」を、創っていくんだと確信する。
Aさん、是非「コラボ」しましょうね。
大阪のイベントに人が集まった理由?
大阪でクエストが講座を始めてから、すでに15年ほど経過している。
アートセラピーは、カウンセリングと比べて注目度は低いし、そもそも認知されているとは言えない。
クエストは、大阪に拠点もないためになかなか参加者が集まらなかった。
いままでは、、、。
先日、「対人援助に役立つスキルアップセミナー」を開催したところ、近来にはない多くの方から問い合わせがあっただけでなく、準備していた会場がほぼ埋まった。
ボクとしては、この突然の変化にただ驚くばかりでした。
当日は、現在アートサポートコースの講師をしている吉川恭子先生とボクとで、午前午後に分かれて、ワンデイセミナー。
午前中は、クエストが20年かけて築いてきたアートセラピーの効果や現場の事例。
映像を見ながらの話に、
「心が熱くなった」とか
「子どもたちやお年寄りの様子を見て感激してしまった」
と、思った以上の反応。
でも、何より一番盛り上がったのは、吉川先生の軽妙なトークと、実際にみんなで取り組んだアートワーク。
初めて出会う同席のメンバーが、全員立ち上がり、お互いを愛称で呼び合い始める人までいる。
子どものように動き回り、笑い声の絶えない時間になった。
「アートはどうも、、、、」と言っていた男性も、
最後には、「没頭してしまいました」と興奮気味に感想を語っていた。
今更ながらに、「アートの力」を見せられました。
午後は、「人を援助する前に、自分の事を知りましょう」と、ボクの得意分野の心理学。
今回はエニアグラムを使って、自分を知り他者を認めるお勉強。
エニアグラムは、人間のパターンを9つに分けて、70億分の1の自分を知るための何千年も前からある教え。
これだけ科学が発達しても、自分の事だけはいつまでたっても不思議が一杯。
もし自分を解明できたら人類は滅びるのではないか、といった賢人もいたくらいに、気づけない自分はまだまだ存在する。
80年の人生で、その気付けない自分のほんの一握りでも知ることができたら、目の前の現実が全く違う世界に見えてくるはず。
ボク自身がその気づきによって、何度も何度も生まれ変わり、新しい自分に出会ってきた。
大阪の10月からのボクのコースは、まさに『自己分析』をアートで体験していく。
人生を振り返って、「お前の得意は何だ?」と神様に聞かれたら、ボクは、すかさずこう答える。
「自分を好きでいること」って。
好きな自分ばかりじゃないのはよくわかっているけれど、どんな自分でも好きでいてあげられるような、せめて自分だけは自分を受け入れてあげられる人でいたいですからね。
だから、講座をやるたびに、新しい自分に出会える喜びがある。
30年もこの仕事を続けているんですけどね。
ありがたいことです。
ことばの力
『水は答えを知っている』という2001年に出版された本を知っている人は多いと思う。
世界中でベストセラーになったこの本は、各地の水の結晶の写真を載せている。
それだけでなく、水に言葉をかけてからの結晶の写真が衝撃的だった。
「ありがとう」と言う言葉をかけてからの水の結晶の形は美しい。
その反面「ばかやろう」と言葉をかけた水は、まともな結晶にすらならない。
言葉には力がある、と言うことなのだけれど、何でこの話を思い出したかと言うと、似たようなことを読んだから。
これも随分前に出版された本だ。
『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』ロバート・フルガム
人と仲良くしましょう、とか
自然を大事にしましょう、とか
みんなで分け合いましょう、とか。
ひとをぶたないで、とか
ずるはしないこと、とか
使ったらまた元に戻しましょう、とか。
この世の中を見渡せば、幼いころに親から学んだ大事なことを、誰一人覚えていないか、守ってはいない。
ケンカ(戦争)はするし、
自然破壊もする。
人よりもたくさん奪い取ろうとするし
暴力をふるう。
作るだけ作って壊れてもごみにすらできないものを創り続ける
この本の中で紹介されているエピソードがある。
南太平洋ソロモン諸島では、木を伐採するときに、あまりにも大きくて斧で歯が立たないとき、原住民はその木を怒鳴りつけて倒す、と言う。
本当かどうか著者も定かではないようだけれど、何かで読んだと言い切っている。
夜明けにそっとその木に忍び寄って、いきなり大声でわめくのだそうだ。これを30日間続けると、木は次第に衰えてついには倒れるのだという。
嘘のような話だけれど、言葉にはボクたちが知りえない力が宿っている。
言霊と言う言葉をボクたち日本人は知っている。
道元の修証義の中に、「愛語よく廻天の力あることを学ぶべきなり」と言う言葉がある。
「愛語」とは、心のこもった親愛の言葉のことであり、「廻天の力」とは、天地をひっくり返すほどの働きのことを言う。
お母さんたちへの講演でも伝えたのだけれど、ボクなりの言葉に置き換えると、これは「承認の言葉」。
人(子ども)を尊重し、心から敬愛し、対等に認め合う言葉。
人(子ども)を活かし自立させ、承認する自分をも成長させてくれる。
まさに「愛語よく廻天す」である。
近々、長年一緒に生活してきた娘二人がほぼ同時期に、一人住まいをするために家から出てゆく。
さて、どんな承認の言葉をかけて送りだそうか。
講演会、、やりました。
「子どもが自立していくための関わり方、育て方」と題した講演会。
準備した席がすべて埋まって、盛況のうちに終わりました。
ボクが話したことは、もっともな理論というよりは、30年間にわたって経験してきた子どもとのダイレクトな関わりから学んできたこと。
ボクとしては、いつも通りの話だったけれど、お母さんたちの反応は、どうやらとても大きかったようだ。
特に、 「問いかけ」と「承認」に関しては、興味深かったようです。
参加したFさんと、講演会の翌日に話をする機会がありました。
講演が終わって自宅に戻ると、6歳と3歳の子どもが、ブロックの取り合いで(いつも通りの)ケンカの真っ最中。
いつもなら、Fさんが介入して、ブロックを半分に分けて二人に渡して別々に遊ばせる。
でも昨日は、講演を聞いて「自立させたいのなら、その環境を与えてあげること」と言うボクの話が心に残っていたらしい。
Fさんがしたことは、
「二人でブロックを半分に分けて遊んだら?」と提案。
お兄ちゃんが早速、同じ形、同じ大きさのブロックをきちんと半分に分けた。
すると、そのままスッキリ遊び始めたらしい。
お母さんにやってもらうのではなく、自分の意思でそれを分けて、ケンカせずに遊んだ。
その様子を見ていて、自立させるための環境を与えたてあげることが、どれほど子どもたちを自由にするのかを実感したそうです。
「承認してあげましたか?」と聞いたら、「承認したんだけど、子どもたちは上の空で遊んでました」と笑ってた。
そう、それでいいんですよ。
子どもたちは、聞いていないようで、そのお母さんのエネルギーをちゃーんと感じていますからね。
講演会終了後には、親ゼミナールの申し込みをしていかれた方も数名。
http://questnet.co.jp/quest-self/14686/
子育ては、「育てる」前に、子ども自身が「育つ」環境を与えてあげることが大切。
悩めるお母さんたちが、思った以上に多いんでしょう。
そんなヒントで良ければ、これからもどんどん講演していきます。
どうぞ、いつでもボクを呼んでください。
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「子どもが自立していくための関わり方、育て方」と題した講演会。
準備した席がすべて埋まって、盛況のうちに終わりました。
ボクが話したことは、もっともな理論というよりは、30年間にわたって経験してきた子どもとのダイレクトな関わりから学んできたこと。
ボクとしては、いつも通りの話だったけれど、お母さんたちの反応は、どうやらとても大きかったようだ。
特に、 「問いかけ」と「承認」に関しては、興味深かったようです。
参加したFさんと、講演会の翌日に話をする機会がありました。
講演が終わって自宅に戻ると、6歳と3歳の子どもが、ブロックの取り合いで(いつも通りの)ケンカの真っ最中。
いつもなら、Fさんが介入して、ブロックを半分に分けて二人に渡して別々に遊ばせる。
でも昨日は、講演を聞いて「自立させたいのなら、その環境を与えてあげること」と言うボクの話が心に残っていたらしい。
Fさんがしたことは、
「二人でブロックを半分に分けて遊んだら?」と提案。
お兄ちゃんが早速、同じ形、同じ大きさのブロックをきちんと半分に分けた。
すると、そのままスッキリ遊び始めたらしい。
お母さんにやってもらうのではなく、自分の意思でそれを分けて、ケンカせずに遊んだ。
その様子を見ていて、自立させるための環境を与えたてあげることが、どれほど子どもたちを自由にするのかを実感したそうです。
「承認してあげましたか?」と聞いたら、「承認したんだけど、子どもたちは上の空で遊んでました」と笑ってた。
そう、それでいいんですよ。
子どもたちは、聞いていないようで、そのお母さんのエネルギーをちゃーんと感じていますからね。
講演会終了後には、親ゼミナールの申し込みをしていかれた方も数名。
http://questnet.co.jp/quest-self/14686/
子育ては、「育てる」前に、子ども自身が「育つ」環境を与えてあげることが大切。
悩めるお母さんたちが、思った以上に多いんでしょう。
そんなヒントで良ければ、これからもどんどん講演していきます。
どうぞ、いつでもボクを呼んでください。
「子どもが自立していくための関わり方、育て方」
わが子を「自立した人間に育てたい」、と、多くの親は当たり前のように思う。
「自立」と言うのは、誰かに頼ることなく何でも自分で物事を決め、行える、ことを言う。
でも実際生きていて、自分一人で物事を行うことなんて、大人だって難しいことはわっている。
何でも自分だけで頑張っているうちに、気づいたら孤立してしまうことだってある。
結局、何をもって「自立」と言うのか、その定義はいたって曖昧だ。
「おまえは自立しているのか?」と真正面から聞かれたら、この年になってもはっきりとは答えられないかもしれない。
そして、その自立の対極にあるのは、「依存」。
誰かがいないと存在が成り立たない状態をいう。
それでいて、助けてほしい時に声を上げられず、助けを求めることもできない。
自分はそんな人間ではないと思いたいし、そんな人間には、なって欲しくないと誰もが思うだろう。
両親は他界しているものの、「今だに依存していることはあるだろう」と突きつけられれば、ボクにも思い当たるところはいくらでもある。
それでは、自立した子どもに育てるには?
これは、簡単なことではない。
そもそも、自立しているかどうか疑わしい親や教師だってたくさんいるのだから。
子どもだけでなく、自立した人間に育つ上で、かかわり方に役立つ大事なポイントは二つ。
「問いかけ」と「承認」
問いかけは、質問とは違う。
人と人の心をつなげていく魔法のようなコミュニケーションスキル。
判断もないし、決めつけもない、ましては誘導もない。
本人が、自分で考え、自分で決断していく心を育てていく。
先生の言うことをよく聞くように、とか、親の言うことは絶対だ、という言葉が通用するほど、誰もが認める価値観を持つ大人は現代社会には、なかなか見当たらない。
この問いかけは、問いかける側の心の在り方がとても重要になってくる。
そして、もうひとつの承認は、自己肯定感を高めていく。
自信が欲しい、と多くの人が言う。
目には見えない自信を追いかける前に、どれだけ自分を認め、自分を肯定している感覚を持っているのか。
自分を信じる力、これが文字通りの自信。
承認は、自分が尊重され、評価や判断のない、自分らしさを認めることにつながる。
ありのままの自分が好きだという人もいる。
もちろん、それはそれでいいのだけれども、そのままの自分、では成長がない。
ありのままを受け入れたうえで、自分を高めていく努力は重要だ。
この承認は、承認される人の心を育てるだけでなく、実は承認する側の心も育てていく。
この「問いかけ」と「承認」の二つは、自立でもなく依存でもない、
「相互依存」を生きる人間に育てることができる。
助けが必要な時には、それを求めることもできるし、手を差し伸べることもできる。
お互いに与えあう関係性を築くことができるのだ。
私たちが求める、自立の理想は、この相互依存なのだ。
今月、旺文社から出版された
「親が知っておきたい大切なこと」シリーズの
『自分で解決できるようになる 友達関係』
は、ボクが監修をさせていただいた。
出版記念講演では、この「自立」をテーマにお話をしていきます。
【書籍監修】旺文社 親が知っておきたい大切な事② | クエスト総合研究所
お楽しみに!
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